2011年08月17日

ベトナム人生徒習字作品集

久々の更新!
これで最後になるかもしれないけど・・・

部屋の整理をしていたら、2年前にベトナムで会話授業の代講をしたとき、なんとなく習字をやり、捨てるのがもったいないからとっておいた作品たちがでてきました。

捨てるに捨てられないので、許可も取らずにネット公開!
(しかし、このあとはお役目御免ということで捨てます)

本を与えて、好きな字を好きなように書きなさいと言ったらこうなりました。
意味が分かって書いたかどうかは不明。


送信者 100RICOH


送信者 100RICOH


送信者 100RICOH


送信者 100RICOH


送信者 100RICOH


送信者 100RICOH
posted by ひろよし at 21:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月13日

Yahooの募金について

色々募金が始まっているけど、何が信用できるのかの判断が難しいですね。
とりあえず、Yahooの壁紙募金をしてみました。
Yahooのポイントがたまっているひとは、お金かけずに募金もできるそうですよ。

http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/1630001/index.html

posted by ひろよし at 15:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月07日

市民とマフィア

ゼミ合宿で「市民とマフィア」ゲームをしました。
とっても面白いんで、忘れないようにルールを書いておきます。

人数は今回は10人ぐらい。
たぶん6人〜10人ぐらいがちょうどいいのかと。

@
まず、一人親を決めます。

A
親は、親以外の人に目をつぶらせます。
それから、自分が決めたマフィアにタッチします。
(今回マフィアは3人でした)

B
市民は目をつぶったままで、マフィアだけ目を開けさせます。
マフィアの3人は黙って仲間を確認します。
それから、また目を閉じさせます。

C
全員に目を開けさせます。

D
みんなで話し合いながら、誰がマフィアか話します。
マフィアは、市民の振りをして、自分がマフィアだとばれないように振る舞います。

E
ある程度話して、容疑者が決まってきたら、「せーの」でいっせいにあやしい人を指します。
みんながバラバラの人を指したら、話を続けます。

F
怪しい人が固まってきたら、最後にその人に弁明をさせます。
弁明を聞いて、それでも「この人が犯人だと思う人」と聞いて、ほぼ一致すれば、その人を殺します。

G
親は殺された人が、市民かマフィアか答えを言います。

H
その人が市民だったら、善良な市民を殺してしまったということで、マフィアに1点。
マフィアを殺したら市民が1点をとります。

I
マフィアが全員死んだら市民の勝ち。
市民がマフィアと同じ数の3人死んだら、マフィアの勝ちです。


以上がルールです。
このゲームはどれだけ嘘がうまいかが問われます。
自分がマフィアの時に、いかに市民に見せるか。
また、自分が市民のときにいかに疑われないようにするか。
とっても難しいゲームで楽しいです。

ぼくは、マフィアじゃない時も疑われてすぐに殺されるタイプみたいです。
殺しやすいのかな?
posted by ひろよし at 21:39| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月28日

尾崎豊のエディプス・コンプレックス

冬休みに入ってひと時の休息で、テキトーな本を読んでいます。

香山リカ『ぷちナショナリズム症候群 若者たちのニッポン主義』

2002年の本ですが、若者たちがサッカーとかでかるーく「日本好き」になってしまう状況のお話です。弟が買ったらしく家にあったのでパラパラ読んでみました。

すると、P67「尾崎豊に見る「エディプス葛藤の再燃」」という話がありました。
尾崎の有名な曲に「卒業」ってありますね。
そのなかのしつこく繰り返すところ。

人はだれも縛られたか弱き子羊ならば
先生あなたはか弱き大人の代弁者なのか
俺達の怒りどこへ向かうべきなのか
これからは何が俺を縛り付けるだろう

エディプス・コンプレックスというのは、男の子が父の威嚇によって母の愛情を断たれて、超自我に目覚めるというフロイトの話です。それは普通3歳から5歳ぐらいの話ですが、中学生ぐらいの思春期になると今度は父の代わりに社会とか、制度が自分の自由を奪う物として立ち現れてくるそうです。

香山リカさんによると、「卒業」の歌詞は「思春期の少年ならだれもが多かれ少なかれ経験する「エディプス葛藤の再燃」を彼が見事にとらえて歌った」ものだそうです。だけど、香山さんの調査によると、最近の少年は尾崎の怒りや不満がよく理解出来ないらしい。「何を怒っているのかわからない」のだそうです。

ふーむ。となると、ぼくは2002年時点での最近の若者ではなかったのかもしれない。ぼくは完全に尾崎の歌詞に心酔できるわけではないけど、彼の言う怒りとか不満はかなりわかるのです。学校や先生はたいてい大っきらいだったし、勇気があったら夜の校舎窓ガラス壊したり、盗んだバイクで走りだしたかったから。教育学部を出て、今でも日本語教師なんかやっていながらこっそり言います。学校なんかクソ喰らえ。イエーイ。

もし香山さんの分析が当たっているとすると、最近の親は賢くなって、優しくなって、学校もヒューマニズムにあふれたハートフルな授業でみんなが救われているから、さほど葛藤が起こらないのかもしれません。それはとてもいいことだし、フロイトの理論なんか外れて廃れてしまえばいいんだけど、一応日本語教育っていう「教育」を目指しているぼくが何を目指せばいいのか、若干混乱します。


posted by ひろよし at 11:46| Comment(3) | TrackBack(0) | 思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月20日

今日は先生の日だそうです

ベトナムのですが。
そして、またfacebookからうれしいメッセージをもらいました。
こういうのもらうとベトナムに戻りたくなっちゃう・・・


"Dear Iwasaki sensei,
Today is Vietnam's Teacher Day, I am glad to send you my congratulations. On this occasion, I wish you are always happy, funny, healthy to work and learn well in Japan. Best wishes for you. :D I hope that you are going to come back to Vietnam as soon as possible.
Do keep in touch. :D
Sayonara sensei."
posted by ひろよし at 23:08| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月30日

最近うれしかったこと

Facebookでこんなメッセージをもらいました。
うれしい。

sensei. how's everything going? do u know? ur the most impressived teacher that i've ever met. u always smile, be friendly, enthusiastic and so kute. if I have a chance, I really want to see u and be ur student again. ^_^
posted by ひろよし at 22:40| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月22日

行為としての心

アメリカの有名な文化心理学者のワーチの著作です。
読んだけど、よくわからないところが多く、でも一応まとめるために書いておきます。

全体として何が言いたいのかというと、今までの心理学は、個人の個体内の心理を分析する立場と、社会から人間心理を分析する立場のどっちかでずっと揺れてきたとのことです。
「個人」か「社会」どっちかを取ると、どっちかがおろそかになる。それじゃいかんと言うことで、ワーチはその中間の立場から心理学を打ち立てることを主張します。

それで、ワーチが具体的に分析するのは、「人間の行為」という分析単位で、この単位からだと、「個人」とも「社会」ともリンクできるということになるのだそうです。

そして、さらに、「人間の行為」には、ほとんど必ず、「文化的道具」が媒介しているといいます。「文化的道具とは、色々な形があるようですがこの本で挙げられているのは、「棒高跳びの棒」であったり、「歴史を語るナラティブ」であったり、「相互教授という教育方法」であったりします。

あと、重要なキーワードとして「専有」という言葉があります。
これは「習得」という言葉と対比させて語られていますが、「習得」は学習者が文化的道具を使う方法を知ることで、「専有」は文化的道具を自分のものとすること、なのだそうです。(具体的にはぼくもよく整理できていないので深入りできません)

さて、感想ですが、ぼくは必死に読んでもよくわからないというのが正直なところです。
そもそもの「中間に身を置く」という立場がよくわからない。
考えようによっては、観念論と唯物論の揚棄と言えるかもしれないけど、それを揚棄する観察者、分析者の主体としての立場がなんなのかがよくわからないのです。

文化心理学の言い方だと、あるときは、人間は能動的な存在で、環境(社会)に働きかけて、でも、環境(社会)も人間に対して働きかける(アフォードする?)。そりゃあ、唯物論と観念論をどっちもくっつければそうなるし、そう言われてみればそうかもしれないあたりまえな話だけど、それってどういうことなのだろう?形而上学に走らないで、日常言語の使用を基盤に考える、言語ゲームみたいな世界観が軸にあるのか?

よくわからん。
むしろそんなことばっかりこだわっている僕の方こそいつまでも大人になれないアホなのか?



posted by ひろよし at 15:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月19日

アドルフに告ぐ

9月初めての更新ですが、すでに19日!
夏休みに書かずにいつ書くんでしょうか?このブログは。

さて、手塚治虫の名作『アドルフに告ぐ』を中学生か高校生以来久々に読みました!
あらためて、すごい歴史大作ですね。

簡単にネタばらしをします。
ヒットラーに実はユダヤ人の血が流れているという設定になっていて、その出生記録の文書が流出します。それをユダヤ人やら、社会主義者やら、新聞記者やら、ゲシュタポやら、特高警察やらが奪い合うというのがメインのストーリーです。

それと、3人のアドルフのストーリーになっています。
一人目は、アドルフ・ヒットラー。
二人目は、ナチスの将校と日本人女性との間に生まれた、アドルフ。
三人目は、ユダヤ人のパン屋のアドルフ。

1巻では、アドルフAとアドルフBの子どもの時の、日本での友情が描かれているのですが、アドルフAがやがてドイツのナチス将校の学校へ入れられて、だんだんナチスに染まり、ユダヤ人を殺すようになり、ドイツに帰国したアドルフBの父を殺したりしてしまいます。

やがて、アドルフAは、ヒットラーの出生文書を奪還しに日本へ帰るのですが、人格が変わってしまったアドルフは、ひどい手を使ってついに文書を手に入れます。しかし、文書を手に入れたと同時に、ドイツは敗戦し、ヒットラーは自殺します(マンガでは殺されますが)。なので、家族や友達をめちゃくちゃにして手に入れた秘密文書は手に入れたとたんに、単なる紙切れになってしまいます。

ということで、アドルフAが一番なんかかわいそうなんですね。
子どものときにすごく純粋な友情と両親への愛情を持っていたんですが、その純粋さがナチスでころっと反転し、ゲルマン民族万歳主義になって、ユダヤ人を殺しまくる。でも、最後にはヒットラーにも裏切られ、なにも信じられなくなる。うーん。かなしい。

そして、最後に舞台はイスラエルとパレスチナの話になって、イスラム側の傭兵になったアドルフAと、イスラエルのユダヤ人となったアドルフBが決闘するんですね。で、アドルフAが死んで終わり。うーん。純粋な坊っちゃんは結局死ぬしかないのか?



posted by ひろよし at 17:34| Comment(6) | TrackBack(0) | マンガ・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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